℃-uteが解散する

℃-uteが解散する。

12年にも渡る長い少女たちの物語が、ついに、終わりを迎える。

 

 

℃-ute」と「解散」を結ぶことは、わたしにとって大きな地雷だった。

「いつ解散してもおかしくない」とか「覚悟はしておこう」とか、それが悪気ないものだとわかっていても、その類の言葉を見るとむっとした。だってなんだか失礼な気がした。リーダー・矢島舞美ちゃんをはじめとするメンバーたちの、「これからも更なる夢に向かって走り続けます」「℃-uteについてきてください」という力強い言葉を聞いていながら、そんな感情はひとかけらだって持ちたくなかった。あの子たちの言葉ほど、信じられるものはなかった。

 

そんなわたしでも、今夏の彼女たちの様子には、違和感を拭いきれずにいた。
音霊での涙。だれひとり来年に言及しないこと。まるでもう℃-uteに夏はやってこないようだった。ずっと信じてきたメンバー自身から、そんな気配を感じ取ってしまったものだから、いよいよひとつの嫌な予感が頭をよぎった。一生懸命見ないふりをして、でもやっぱり怖くなって、ついに自分を守るため、ほんの少しの覚悟というものを、この身にまとってしまった。

 

8月20日の早朝、どたばたと部屋に駆け込んできた母親にその事実を告げられたとき、真っ先に「やっぱり」と思ってしまったことが悲しかった。そしてどこまでも素直なあの子たちを、とても愛おしく思った。

 

 

℃-uteが解散する。

大好きな5人が、5人でなくなってしまう。

 

℃-uteを好きな理由を、うまく説明することができない。好きになったきっかけだって、思い返すとあやふやだ。まわりの友人や家族の影響で、幼い頃のめりこんだハロー!プロジェクトに再び興味を持つようになった。℃-uteとの出会いは、超占イト!のDanceでバコーン!の動画。でもそのときは、「すごい曲と振付だな」「でも歌上手だな」「このポニーテールの子がかわいいな」なんて、他愛ない感想をふわっと抱いただけだったように思う。それなのに、いつからだろう、どうしてだろう、気が付いたら℃-uteはわたしの生活の中心にいた。CDやDVDをたくさん買った。コンサートツアー、握手会、リリースイベント、シリアルイベント、ファンクラブイベント、学園祭ライブ、ロックフェス、バスツアー、参加できるものすべてに参加した。いろんな土地に足を運んだ。はじめは一人だったのに、行く先々でたくさんの友達ができた。数えきれないほどの思い出を、℃-uteと共にしていた。

たぶんこれといった決定的な理由はなかったんだと思う。彼女たちを取り巻くものすべてを好きになった。℃-uteを見つけて約5年、毎日夢中で℃-uteを追いかけて、毎日℃-uteを好きになっていた。たった24年の人生だけど、こんなのは初めてだった。

 

 

℃-uteが解散する。

長年の夢だった、さいたまスーパーアリーナでのコンサートを最後に。
今度はそれぞれの夢を追いかけるために。

 

衝撃のニュースで目を覚まし、すぐに繋いだTwitterは既に阿鼻叫喚だった。昨晩にはもう、新聞記事による第一報が入っていたらしい。タイムラインをぼーっと眺めて、夢のステージが決まったこと、今後は個々の夢を叶えていくんだということを漠然と知った。

ちっとものみこめなかった。わたしのなかのエゴがわんわん喚いて邪魔をした。SSAでのコンサートは飛び上がるほどうれしいけれど、ラストコンサートとして決まるんじゃない、通過点だと思っていた。個々の夢だってもちろん応援したいけれど、それは℃-uteありきで叶えていくものだと思っていた。いや、ちがう、そのあたりはもうなんだっていい。ただ、あんなにも℃-uteを愛し、5人が5人であることをだれよりも大切に想っていたメンバーが、「℃-ute」と「解散」を結び付けてしまったという事実を、どうしても受け入れることができなかった。

 メンバーの言葉が欲しかった。いろんな情報や憶測に押しつぶされてしまう前に、絶対的に信じられる唯一のものを、この目で確かめておきたかった。ハロープロジェクト公式サイトに掲載された、「℃-uteに関するお知らせ」。一生見たくないと思っていたそのURLにすがりつくと、そこには、とうてい理解できなかった「解散」に至るまでの経緯が、とても丁寧に書かれていた。

 

ようやく涙が出た。
だって、全部、すとんと理解できてしまった。
わたしが好きな℃-uteの決断だって、思わされてしまった。

 

解散するから、ラストコンサートとしてSSAが決まったのではなかった。℃-uteとしてSSAのステージが決まったあとで、そこを12年間の活動のゴールにしようと、メンバー自身が定めたのだ。
SSAは特別な場所。℃-uteがずっと「立ちたい」と夢見てきた場所。そして同じハロープロジェクトキッズオーディションに合格した同期・Berryz工房が史上最年少で単独公演を行った場所。「非ベリキッズ」「あまりもの」と呼ばれた彼女たちの到達地点として、ハロプロキッズの物語の幕引きとして、こんなに美しい着地はない。くやしい。完璧だ。

12年の活動に終止符を打ち、次のステップへと進むことを決めた5人に、事務所は3つの進路を提案してくれていた。活動休止、解散、そしてわたしが心から望んでいた、ハロプロ以外での℃-uteの存続。グループの形を維持したまま、まったく新しい道を切り拓き、夢を追い続けていくための選択肢は、きちんと存在していたのだ。でも彼女たちは、それを選ばなかった。

”最後まで「ハロー!プロジェクト℃-ute」でありたいと思ったから。”

もう頷くしかなかった。だって私自身、「ハロー!プロジェクト℃-ute」だったから、こんなにも好きになったのだ。音楽に対して真摯なつんくさん直伝の、心に響く歌声が好きだった。長い歴史や伝統を背負う、誇り高い姿勢が好きだった。芸能界に10年以上いたとは思えない、温室育ちの純粋さが、大好きだった。ハロプロに対する愛と敬意を忘れない、不器用で真面目な5人のことを、こんなときになってもまた、どうしようもなく好きだと思った。

あんなに℃-uteを愛していたのにどうして、なんて浅はかだったのかもしれない。きっと、℃-uteを心から愛していて、何よりも大切に思うからこそ、このタイミングでの「解散」だ。すごいな。ロックだな。ずるいなあ。こんな熱い思いを見せつけられたら、なんでよ℃-ute続けてよ、なんて、軽々しく口にできなくなってしまう。

全てを全うしたからこその、活動休止ではない解散。残されたファンとの時間を濃いものにするための、冬のハロコンへの不参加。彼女たちがとった全選択を、優しい℃-uteらしいなと思えた。完敗だ。とてもくやしくて、とてもうれしかった。この大きすぎる変化に、自分の気持ちまで変わってしまうような気がしたけれど、実際はなにも変わらなかった。出会ったときからずっと、これから先の未来もきっと、わたしはあの子たちのすべてを、大好きなままでいられる。

 

100%受け入れられたかと問われたら、やっぱりうそになる。どんなに頭で納得しても、感情はそう簡単にコントロールできるものじゃない。さみしくてさみしくて、終わらないでと願ってしまうし、後悔だってやまない。もっと大きなステージに連れて行ってあげたかった。℃-uteのすばらしさを世間に広めたかった。ずっとずっと無邪気に夢を追いかけさせてあげたかった。こんなに℃-uteに支えられて生きてきたのに、℃-uteの活動を支えてあげられなかったのではないか。わたしなんかにもできることが、きっとあったはずなのに。

だけどあの子たちはきっと、こんなだめだめなわたしにも救いをくれる。わたしのくだらない事情とかどうしようもない気持ちとか、ぜんぶ受け入れて、想っていてくれてありがとうって、笑いかけてくれる。そういう人たちだ。

だからわたしも、5人が私たちに向けて示してくれた言葉を、ぜんぶまるごと、肯定してあげたい。どんなことがあったとしても、わたしの目に映るあなたたちは、とってもとっても美しいよ。

 

 

℃-uteが解散する。

最高に美しい終幕へのカウントダウンは、もうはじまっている。

 

解散を発表した5人は、これからより一層輝きを増すんだろう。永遠に枯れない花なんてない。限りあるものこそ美しい。終焉だけがもたらすことのできる、とびきり素晴らしい景色があることを知っている。今日までの長い歴史の中で、ハロー!プロジェクトを去った偉大なメンバーたちが、たくさん教えてくれたこと。

℃-uteと同じ時間を生きられるのはあと10か月。あっという間なんだろうな。きっと℃-uteは、こわいくらいの幸せを与えてくれるんだろうし、同じくらい、張り裂けそうな胸の痛みを味わうことにもなるんだろう。だけどそれはぜんぶ、℃-uteを好きだと思う気持ちがもたらす痛みだ。どんなに苦しくても、℃-uteを好きにならなければよかったとは思わない。℃-uteを好きにならない人生なんてありえない。℃-uteを見つけられたこと、こんなにも好きになれたことは、わたしの誇りだ。あと10か月、いちばんきれいな彼女たちを一瞬たりとも見逃さずに、すごいものを見てきたんだよって、すごい人たちをそばで応援してたんだよいいでしょうって、世界中に自慢したい。

 


℃-uteが解散する。
だけど、何も変わらない。

℃-uteのすべてがすきだ。
今日もわたしは5人を信じてついていく、ただそれだけだ。